受験が終わって 

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第2部 あなたのお友達に会いに行く旅行ネ,と呟いた妻も今回の旅の「良さ」に気づきはじめます

@三田→(山手線)→A秋葉原→(徒歩)→電気店街→(徒歩)→秋葉原→(総武線)→市ヶ谷→(徒歩)→Bさいゆうき→(徒歩)→なんとかホテル→(徒歩)→C防衛庁→D(タクシー)→渋谷のホテル

  KUELの仲間   SDF

@三田
大学から三田駅まで歩きました。確か「ただのラーメン」というお店があったのですが,景色が変わっていました。ただのラーメンというのは,無料という意味ではなく,ただのラーメン。特別では無いよ,ということです。豚の骨や鶏の骨や頭がごった煮の濃い目の味付けでとても美味しかったことを覚えています。学生時代,友人と二人で食べていたときマスターといろいろ話しをする中,何かの弾みで。。。
  友人 「にんにくは生で食うんだヨ。風邪ひいたらばあちゃんが食べろって言うよ。」
  マスター 「馬鹿言うんじゃないよ。ピリピリして食えるか。」
  私 「食べたら,ただ(無料)にしてくれる?
  マスター 「食えるものなら食ってみな。いいよ。」
ということで,千葉から来ていた黄の丸クンはゴリゴリむしゃむしゃ2個も食べてしまいました。マスターは目を丸くしていました。このこと以来,私は風邪をひいたら必ず生のにんにくをかじる,まではできませんが,摩り下ろしてレモンと蜂蜜に高麗人参の粉末をまぶして戴くことにしています。

正門を出て道路を横切ると駅までが路地のようになっています。慶応横丁だか何だかと呼ばれていました。当時は雀荘が軒を連ねていましたが,一件も見当たりませんでした。駅周辺も変わっていました。あ〜あ。でも電車に乗る前に,ヨッチャン(この頃,ごちそうさまやチューボーでは「鷹番の巨匠」と呼ばれている)に電話を入れて明日の朝は築地の魚河岸に連れて行ってもらうことになりました。タ〜ノシミィ,ワクワク。  

A秋葉原
今でも“あきばはら”と読めばイイのに,と思っています。この地名と川崎市(だったと思います)の登戸は苦手です。上京してすぐに知人を訪ねたとき,東横線のどこかの駅から乗り換えたと記憶してますが,切符を買う窓口で「TOTO一枚下さい。」と言うと,「エッ,トト???」「はい。登るっていう字とドアの戸と書いてある駅ですけど。。。。」「ウン?あ〜。は〜い,一枚ネ。ノ・ボ・リ・ト。」このイントネーションは今でも忘れることができません。田舎モノをバカにしたような,見下したような。「ちくしょー!」それにしても読み方くらい下宿のおばさんに聞いておくべきでした。

B関東学生英語会連盟(KUEL)の仲間に会わせておきたかった。
学生時代,英語会に属していました。通常,就職の関係で,大学3年生でクラブ活動の方は卒業となります。でもKUELは大学4年生がコミッティーを務めます。頭が薄くなっているやつとか,老眼になっているのや,皆結構年をとっていました。話しが弾んでホントに楽しいひとときでした。妻や子ども達も一緒にワイワイガヤガヤ。ただ,席を固定していたのが反省材料です。「明日は同じ間違いを繰り返さないゾ。」

C国家の属性としての国防
KUELのハルちゃんのご主人はキャリア組です。カップクが良く,頼もしさに溢れています。さすがです,良いご縁。私はどちらかというと若干右よりで,国とか皇室を大切にしたいと考えています。本山を子供たちに見せておきたかったのです。

夜もふけていました。が,なぜだか帰宅ラッシュが始まったようにスーツ姿が目立ちます。当時の角栄さんの真似をして,右手を上げてそのまま庁内に入っていこうかとも思いましたが,子連れの闖入者では絵になりません。思いとどまり正門前で記念撮影。守衛さんには「お疲れ様ですね。」と一声かけて。

D出稼ぎタクシー
防衛庁の前にはステーションワゴンのタクシーが何台も客待ちしているのに,我々のことは完全無視。どうも防衛庁ご用達なのですね。仕方ないので少し歩いて流しのタクシーに手を挙げました。ホテルがある渋谷までが珍道中でした。なんだか自信なさそうな応対で,聞くと自ら自己紹介。栃木からの“出稼ぎまったく不慣れな運ちゃん”でした。地図を出してきてあーでもない,こーでもない。信号待ちでは,隣のタクシーに「すみません。渋谷の方向は?」と尋ねる始末。遠回りしているようで料金も気になリ出しました。しかし,不思議なことに,だんだん腹立たしい気持ちが薄れ,励まし出して,やっとたどり着いたときには,家族揃って拍手する始末でした。お父さんは大変だヨ。

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